【力石の碑】の除幕式@淡島神社

 令和4年3月26日、桜の花が開花し始めた淡島社で「力石の碑」の除幕式が淡島社世話人会総代および役員さん、淡島社歴代総代、町内会長および副会長が参列して行われました。

 式には都筑区タウンニュースのスタッフも取材に来ていました。・・・(3月末のタウンニュースで紹介されるとのこと)

 みなさんも今度公民館に行った時には、是非この新しい碑をご覧ください。

 碑には次のような碑文が彫られています。

 力石

 江戸時代に鶴見川流域の村々では、年貢米や物資などの輸送を各河岸から水運を使って江戸に運び込んでいた。鶴見川の中・下流域に力石が多く分布するのは、この水運によって村々にもたらされたものと考えられている。現在、淡島社が保存する力石は、次の通りである。

 前列右から①長卵型「さし石 折本」、②長卵型「奉納万友石 當所力持中」、③長卵型「加藤石 當所幸太良」、後列右から④長卵型「淡石」、⑤丸形無銘(練習用)、⑥長卵型「さし石 嘉永元申 六月吉日 當所七右エ門 栄五郎 藤本 大竹虎吉」。

 このうち、⑥の嘉永元年(1848年)銘の力石に刻む「七右エ門」とは、同二年銘の狛犬に刻む「世話人 加藤七右衛門」と同一人物であろう。また、大竹とは大熊村境にある新羽村の地名である。他の四個の力石は、淡島社で村の若者が持ち上げたことを記念して奉納したものである。さらに、「万友石」に「當所力持中」と刻むことから、村の力持ち仲間が「力持中」を組織して活動していたことを裏付けている。

 戦後に入り淡島社の力石を持ち上げた人は、鈴木盛一さんが最後と言われている。

  令和四年三月吉日