横浜市立折本小学校創立35周年記念誌「わたしたちのまち」

第19話 新しくなった折本小学校

 今、わたしたちが使っている校舎は、1975(昭和50)年に建てられました。それまでは、西原公園の所にありました。

 

 古い校舎は普通教室が六つの小さなものでした。ところが第三京浜道路や港北ニュータウンがつくられるようになり、学校の周りにも、工場や家が次々と建てられていきました。そして、折本小学校の児童数も、1969(昭和44)年、146名。1970(昭和45)年、191名。1971(昭和46)年、222名というように増えてきたのです。このように児童数が増え、教室が足りなくなったため、新しく学校を建てようという声があがりました。

 

 そこで、1971(昭和46)年に、校長先生、副校長先生、地域の人達が集まって新しい校舎を建てるための土地を探す会を作り、どこに校舎を建てたらよいか、話し合いました。その結果、すべての児童が通いやすい、学区の中央にしようという事になりました。それは、折本町と大熊町が接している所です。今の折本小学校の住所は折本町になっていますが、学校全体は折本町と大熊町の両方にまたがっているのです。

 

 1972(昭和47)年には、会の人数が増え、折本小学校建設委員会と名づけられました。学校を建てたいと思った土地は12名の人達が持っていました。そこで、その土地を譲ってもらうために、委員の人達が、それぞれの家を訪ね、なぜ、学校をそこに建てたいのかを説明したのです。

 

 折本小学校の児童数は増え続き、教室が足りなくなりました。プレハブ校舎を建てることになりましたが、校庭が狭いので、土地を借りなければなりませんでした。

 

 しかし、委員の人々の努力のかいも無く、いろいろな理由で、学校建設委員会をやめることになってしまいました。

 

 

 

 ところが、1973(昭和48)年の児童数はさらに増えて、もう1

棟プレハブ校舎を建てなければならなくなりました。そこで、再び、折本小学校建設委員会を作り、もう一度、学校のために土地を譲ってもらうよう、土地の持ち主にお願いしたのです。委員の人達の努力によって、ほぼ十日間で話し合いがまとまり、学校を建てる土地が決まりました。そして、横浜市の新校舎建設計画に入れてもらったのです。

 

 その年の秋から冬にかけて、もともと畑だった所を平らな平地にしました。今の校庭側の高い所を削って、川の低い方に土を積んだのです。

 

 次の年の春から夏にかけて、安全な学校を造るためにいろいろな調査を行い、7月16日から新校舎建設工事が始まりました。

 

 1975(昭和50)年3月20日の卒業式は新しい校舎の一部を使って行いました。

 3月30日と31日には、今までの校庭の木を新しい校庭へ運び、植えました。

 3月31日には建設工事がすべて終わりました。そして、4月1日から、学校の住所は、今の折本町1321番地となったのです。

 4月2日に、トラック4台を使って、地域の人々、お父さん、お母さん方、先生方、合わせて80人が、学校に机や椅子、勉強に使う道具を運びました。

 4月3日と4日には、先生方が運んだものを整理しました。

 

 そして、4月5日には、新しい校舎で、始業式、入学式が行われたのです。

「横浜市立折本小学校創立35周年記念誌 わたしたちのまち」より

~「第19話 新しくなった折本小学校」を読んで~

 学校の建替えという大きな事業をやるには、多くの関係者の理解と協力が必要なことがよく分かりました。

 

 この話では、折本小学校の児童数が増えて、西原公園にあった校舎では教室が足りなくなったことが書かれていますが、戦後70年の児童数の推移を折本小学校の資料を見せてもらって調べたところ、次のグラフのようになりました。

戦後70年間の折本小学校児童数の推移
戦後70年間の折本小学校児童数の推移

 このグラフを見ると、戦後20年間あまり変わらなかった児童数が1970(昭和45)年頃から1980(昭和55)年にかけて急増したこと《第1の山》、また、1995(平成7)年頃から現在まで増加していること《第2の山》がよく分かります。

 

 ここで、第1の山は第三京浜の開通と港北ニュータウン造成開始を発端とする開発の波によるもので、第2の山は新横元石川線と地下鉄の開通による都市化によるものでしょう。

 

 第1の山では、マンションやアパートの建設で子育て世代が増加したことでしょう。また、第2の山は現在も続いているかもしれませんが、仲町台方面の若者向けのマンション・アパートが大幅に増えてきているようですね。

 

 なお、1985(昭和60)年から1995(平成7)年にかけた児童数の減少も気になりますが、恐らくは社会全体の景気後退でこの地域への人口流入が鈍ったのと、第1の山で増加した児童が卒業していったことがその大きな理由ではないでしょうか。

 

 さて話を元に戻して、折本小学校の移転は、当事者である児童の視点で見るとどうだったのでしょうか。

 

 小学校の移転時に在籍されていたSさん(1組)は、「ヤッター、新しい校舎だ!」と嬉しかったのと同時に、「学校が遠くなるなぁ・・・」「プールがなくて残念だなぁ・・・」と当時思ったのを覚えておられるそうです。

 

 いずれも子供らしい素直な感想ですね。

 「学校が遠くなる」については、子供の時と大人になってからでは距離感覚が大きく違い、ほんのちょっとの遠方でも遥か彼方の別世界のように考えていた記憶は、大人になった誰もが持っているのではないでしょうか。

 

 なお、移転時にはなかったプールは、2年後の1977(昭和52)年6月に出来上がったようで、この時はきっと子供たちみんなが大喜びしたことでしょう。

 

 せっかくの機会なので、以下に時代とともに変わっていった折本小学校の航空写真をご紹介しましょう。

① 西原公園にあった折本小学校〔撮影年不明〕(周りはすべて畑で、こじんまりとした校舎が…)
① 西原公園にあった折本小学校〔撮影年不明〕(周りはすべて畑で、こじんまりとした校舎が…)

 

 写真①は、西原公園にあった頃の折本小学校です。

 

 周りがすべて畑で、こじんまりとした2階建ての校舎と運動場があるのが印象的です。

 

 生徒数もそんなに多くはないようですが、「オリモト」の人文字が素朴な感じでいいですね。

 

 この頃の折本小学校に通われた方は町内にまだかなりおられるはずですが、きっと懐かしく思われることでしょう。

 

 移転当時/1975(昭和50)年/の学校の写真は、この第19話本文に「完成した新しい校舎」として紹介されています。

 

 西側校舎は各階が2教室の4階建てで、非常用(?)の外階段が取り付けられていますが、まだまだ増築計画があったようで、校舎側面には、鉄筋コンクリートの梁がむき出しの状態でした。

 

 

② 1985(昭和60)年の折本小学校
② 1985(昭和60)年の折本小学校

 

 写真②は、創立35周年記念誌が発刊された1985(昭和60)年に撮られたものです。

 

 この写真では、西側校舎が増築され、各階が4教室になっているのが分かります。

 

 勿論、プールもありますね。

 

 

③ 2000(平成12)年の折本小学校
③ 2000(平成12)年の折本小学校

 

 写真③は、折本小学校創立50周年の2000(平成12)年に撮られたものです。

 

 前の写真と較べると、更に西側に校舎が増築されているのが分かりますね。

 

 

④ 2014(平成26)年の折本小学校
④ 2014(平成26)年の折本小学校

 

 最後の写真④は、2014(平成26)年に撮られたものです。

 

 校舎の外形は前の写真と同じですが、中央校舎の屋上にはソーラーパネルが設置され、省エネ化を推進しているのが分かりますね。

 

 運動場のカラフルな模様は、生徒による野イバラの校章です。

 

 

 かって折本小学校に在籍されていた読者のみなさん、どこかに自分が写っていませんか!

 

  「わたしたちのまち」の紹介は、次回が最終話となりますが、どうぞお楽しみに!

 

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