横浜市立折本小学校創立35周年記念誌「わたしたちのまち」

第14話 鶴見川の洪水

 鶴見川は、東京都の町田市の方から流れはじめて、とちゅう恩田川、早渕川、矢上川などを集めながら、鶴見区から東京湾に流れ出ています。川幅は広くありませんが、曲がりくねってゆったりした流れの川です。

 

 この川は、昔から雨が降ると水かさが増えて、水が溢れたり、土手が切れたりして大洪水になりました。特に鶴見川に近い、大熊町や川向町では、雨が少し多く降ると、洪水になり人々は大変困ったそうです。

 

 洪水になると、田や畑の作物は、泥水をかぶったり、流されたりして、まったくとれない年もありました。また、泥水が川のように家の中に流れ込み、農家では使う道具や飼っている牛や豚、鶏などが水浸しになり、畳や家具まで使えなくなってしまいました。

 

 こんな洪水が毎年のようにあり、せっかく作った米や野菜が腐ってしまって、農家では随分困りました。米の場合、豊作だと千平方メートルあたり六俵ぐらいとれますが、これは5、6年に1度ぐらいで、ひどい時は二俵しかとれない年もあったようです。こんな不作の年が百年間に十回以上にのぼり、人々は恐ろしい洪水に長い間苦しめられてきました。

 20年ほど前の1966(昭和41年)にも台風4号にともなう洪水がありました。その時の様子を川向町に住んでいた人が、次のように話してくださいました。


「6月28日に関東地方の南の海上にやってきた台風は、雨台風で鶴見川の近くでも、27日の夜から強い雨が降り始め、28日の夕方までに近頃にない大雨になってしまったんですよ。このため鶴見川の方々で、堤防が壊れ、水が田畑にあふれたかと思うと家の方にも押し寄せてきました。畳の上まで水につかった家や、床の下まで水が入った家は、川の近くのまちまちで1万8600戸にもなったそうです。

 その頃、川向は工場が一つとわしの家が1軒あっただけで、まわりは田んぼでした。今の大熊十字路辺りまであたり一面海の様でしたよ。しかし、まさか二階まで水が上がってこないだろうと思って、荷物などを二階に上げ、様子を見ていたんです。すると、みるみるうちに水が二階まで上がって来たんです。急いで屋根の上に登って避難しました。それはもう恐ろしかったですよ。それから、備えてあった木のボートに乗って、今の産業道路の山側の方まで逃げて、大熊保育園まで避難し、一夜を明かしました。大熊保育園では、町内会の人達が炊き出しをしてくださったり、市からは毛布などが配られたりしたんですよ。」

また、そのころ工場をやっていた人が、

 

「私の工場では、機械や鉄板が水に浸かったため、全部錆びてしまい、ヘドロがいっぱいついていて使い物にならなくなって、大変困りました。毎年、大雨や台風の季節になると、水が出るかなと不安でたまりません。」

 

「こんな大雨の時は、消防団の人や男の人達は、土手に出て、雨の様子や水の上がる様子を見ながら気をつけていました。また、堤防が切れないよう、土嚢といって、土をつめた袋を土手に並べたりしました。今でも、この土嚢が少し残っているのが見られます。」

 

と話してくださいました。

 今では、鶴見川の堤防を強くする工事が進み、堰も広くなって、水の流れがよくなってきました。そして、家々では、土を高く盛って、水が家の中まで入らないようにしています。しかし、まだ、江川という小さな川の周りは、土地が低く、工事が遅れているため、時々、床下ぐらいまで水が上がってきたり、交通止めになることもあるようです。特にニューライフマンションから陽光ハイツのあたりは、大人の腰ぐらいまで水が出たことがありました。早く水が出ないよう工事を進め、水の心配をしない安心した生活が出来るといいですね。

「横浜市立折本小学校創立35周年記念誌 わたしたちのまち」より

~「第14話 鶴見川の洪水」を読んで~

 平成27年9月の台風18号による鬼怒川流域の洪水の被害は、みなさんも記憶に新しいことでしょう。近くを流れている鶴見川についてもっと知りたくなったHP編集グループ員は、日産スタジアムの近くにある「鶴見川流域センター」に行って鶴見川の洪水の歴史や治水対策について調べてきました。

 鶴見川の全長は42.5 Kmで、鶴見川の流域は下図の地域です。

(国交省 京浜河川事務所の「記者発表資料」より)

 

 全国的に見るとそんなに長くない鶴見川が、頻繁に氾濫する《暴れ川》と呼ばれるようなったのは、この地域のほとんどが山岳地帯や森林地帯ではなく丘陵地帯や台地で占められ、その間を文字通り「蛇行」しながら流れているからです。

 

 鶴見川はずっと昔から、雨の降らない時期の水量は乏しいが、多量の雨が降るとすぐに洪水が発生するような川であったようです。

 

 そして、近年のこの地域の都市化・過密化が、流域の保水能力を大幅に減少させ、洪水の被害を一層大きくしてきました。

 

 河川としては大きくない鶴見川の水系が、〈国土保全上または国民経済上特に重要な水系である一級水系〉に指定されているのはこのような理由によるものです。


 急激な都市化が進んだ昭和30年代以降の鶴見川の大規模な洪水を、「鶴見川流域センター」の資料から紹介しましょう。


 

・昭和33年9月

 …台風22 号(狩野川台風)による洪水、床上床下浸水20,000 戸以上

 

・昭和41年6月

 …台風4 号による洪水、床上床下浸水18,600 戸 (第14 話で紹介)

 

・昭和51年9月

 …台風17 号による洪水、床上床下浸水3,940 戸

 

・昭和57年9月

 …台風18 号による洪水、床上床下浸水2,710 戸

 ここでみなさん、年の経過と共にだんだん被害が小さくなってきていることにお気付きですか?


 これは鶴見川流域の《総合治水対策》が始まったからです。《総合治水対策》とは、洪水を発生させないために、次の①~④を順次国と地域が一体となって行っていく総合的な対策です。

鶴見川多目的遊水地配置図(国交省 京浜河川事務所の「記者発表資料」より)

 

 

① 地域の緑化を主とした自然による保水および遊水機能の保全

 

② 下水道・雨水マス等による急激な雨水流出を抑制する設備の充実

 

③ 堤防工事や河道掘削による河道整備

 

④ 洪水調整用遊水地の設置

 

 

 このうち、鶴見川の治水対策で最も特徴的なものは、④の「洪水調整用遊水地」の規模が極めて大きいことです。

 

  日産スタジアムとその周辺の広大な「鶴見川多目的遊水地」がこれに相当する施設であることはみなさん勿論ご存知ですよね! 

 「鶴見川多目的遊水地」は総貯水容量390 万㎥の巨大な施設で、平成15 年に供用を開始して以来、これまでに15 回以上(年1回以上)の洪水調節を行ってきました。

 

 このような実績の中で、「平成26 年10 月の台風18 号」による豪雨の量は、第14 話で紹介されている「昭和41年の台風4 号」の時よりも多かったのですが、「鶴見川多目的遊水地」があったために、流域の洪水被害はほとんど発生しなかったそうです。

多目的遊水地への流入状況/平成26年10月6日(国交省 京浜河川事務所の「記者発表資料」より)
平常時の鶴見川多目的遊水地(国交省 京浜河川事務所の「記者発表資料」より)
洪水調節時の状況/平成26年10月6日(国交省 京浜河川事務所の「記者発表資料」より)

  ところで、「鶴見川流域センター」には流域に生息する淡水魚や小動物も展示されていました。これまでは災害にのみ焦点をあててきましたが、本来川は農業に必要な水を供給し、多くの生き物を育むことで流域を豊かにしているので、私たちに身近な大熊川や江川を含む鶴見川水系に感謝しながらこの読後話を終わりたいと思います。

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