横浜市立折本小学校創立35周年記念誌「わたしたちのまち」

第10話 第三京浜道路の開通とまちの変化

 川向町にある第三京浜道路の港北インターチェンジは、いつもたくさんの自動車で混雑しています。折本町・大熊町・川向町の工場で作られた品物を運ぶにも、原料を運んでくるのにも第三京浜が多く使われています。1983(昭和58)年に新横浜元石川線が開通してからは、いっそう多くの自動車が利用するようになりました。

 

 この第三京浜道路はいつ造られたのでしょうか。それは、今から20年前の1965(昭和40)年のことです。

 

 第三京浜が出来るまでの折本・大熊・川向はどんな様子だったのでしょうか。その頃は今より家も少なく、沼地と田んぼと畑ばかりの寂しい町でした。横浜方面に出かけるにも、田んぼのあぜ道を通り、鶴見川にかかっている丸木橋を渡って小机に出て横浜線を利用するか、川向まで歩いて、川和から来る横浜行のバスに乗るかでした。風の強い日など、川にかかっている丸木橋を渡るのは、とても怖かったそうです。

 

 折本・大熊・川向はほとんどが農地で、鶴見川・大熊川の水は、かんがい用水として広く利用されていました。流れる水は清らかで川底が見え、堰を止めて水遊びや魚とりが行われ、夏の夜にはホタルが飛び交いました。しかし、ちょっとした大雨でも洪水になり、1年に1、2回は水害が起き、人々を困らせました。その後、河川改修工事により草むらの土手がまっすぐなコンクリートの岸になり、第三京浜に続く周りの道を水害から守るようにもなりました。

港北インターチェンジ(35周年記念誌より)


  第三京浜は、1962(昭和37)年1月27日から1965(昭和40)年12月18日まで、3年10ヶ月の年月をかけて完成しました。工事にかかった費用はその頃のお金で278億円もかかりました。今のお金になおせば、3千億円にもなります。自動車が増え、前に作られた第一京浜国道、第二京浜国道ではさばききれなくなったので、第三京浜が計画されたのです。

 

 第三京浜は全長が16.6㎞。東京の世田谷と横浜の三ツ沢を結び、途中に川崎インターチェンジと港北インターチェンジがあります。日本で初めての6車線の高速道路で、中央分離帯の植樹は東名高速道路の植樹のテストを兼ねて行われたそうです。

 

 第三京浜は高速道路ですから、他の道路とは立体交差になっています。そのため全線のおよそ5分の2が橋になっています。橋の部分の工事をするには、はじめに土の検査をして、それからお地震などでも壊れないように柱の太さと基礎の大きさを決めます。さらに多くのテストをして設計図が作られます。だいたい柱の太さは1.5~3mです。

 また山を削った部分も多くなります。折本貝塚橋のあたりも、もともと丘だったところを、ブルドーザー、ショベルカーなどで土を削って道路を作りました。折本貝塚橋のあたりは、大昔の人達が食べて捨てた貝殻が沢山残っていたところでしたが、それも削られてしまいました。

 

 第三京浜が開通してから、町はどのように変わっていったでしょうか。

 

 今、折本町・大熊町・川向町には沢山の工場があります。崎陽軒・亀屋万年堂・日本オリベッティ・十辰製作所・ヤナセ、他にもまだあります。これらの工場はみんな第三京浜が開通してから後に出来た工場です。みなさんの中で家が工場の人もいますが、ほとんどが第三京浜が出来た後に引っ越して来た人だと思います。このように工場がどんどん増えてきました。住宅も増えました。特に緑産業道路のまわりに住宅が増えました。バスの本数も増えました。また第三京浜を使って、東京方面に新鮮な野菜を売ることが出来るようになったので、畑も増え、野菜作りが盛んになりました。

 

 第三京浜の開通によって、町は大きく姿を変えてきたのです。

 

 ※工場が出来た年

亀屋万年堂         1969(昭和44)年 ヤナセ                1970(昭和45)年
十辰製作所         1970(昭和45)年 日本オリベッティ       1972(昭和47)年
崎陽軒                1975(昭和50)年  

「横浜市立折本小学校創立35周年記念誌 わたしたちのまち」より

~「第10話 第三京浜道路の開通と町の変化」を読んで~

建設中の横浜環状北線のたもとの「ドンドン橋」があった場所


 

 第三京浜が作られた昭和40年(1965年)以前の港北インターチェンジ付近は、今では想像もできないようなさみしい(だけど、のどかな)場所であったようですね。

 

 この話に出てくる「鶴見川にかかっている丸木橋」は、第9話で紹介されたように、堰にかかっていて「ドンドン橋」と言われていたそうで、HP管理グループのメンバーはこのドンドン橋があった場所に行ってきました。 

 この場所は、写真のように現在建設中の《横浜環状北線》のたもとにあり、洪水防止用の土手とサイクリングロードに挟まれた鶴見川の流れを一時止めているコンクリート製の堰があるところでした。

 

 しかし、以前橋があったらしい面影は何も残っておらず、夏草が勢いよく生い茂っているだけでした。

 

 50年の歳月がたった今、ドンドン橋の思い出は、きっと当時橋を利用していた人達の記憶の中だけにしか残っていないのでしょうね。

 さて、本シリーズでは、これまで交通事情の変化として、横浜線の開設、バス路線の拡充、地下鉄の開設について記載してきましたが、この第三京浜道路の建設は、港北インターチェンジが近いこともあって、鉄道・バス以上に折本地区の発展に寄与したかもしれません。

 

 折本町には、第10話で紹介されている会社に加え、近年では「電気のコジマ」「お酒のツカサ」「亀屋万年堂」等の店舗だけでなく、「IKEA港北」「ホームセンターコーナン」「ジョーシン電機」「食品スーパーのロピア」「お菓子の横浜十番館」等の有名店も進出してきて、益々活気をおびてきたことはみなさんご承知のとおりです。

 

 これらの会社・工場・店舗の進出は、折本および周辺地区での雇用も創出し、地域の経済の活性化もしてきました。このような変化を背景に、折本町内の人々の生活や暮らし方も、以前の専業農家を中心とした構成からいわゆるサラリーマン世帯が大きく増加し、年齢的にも比較的若い世代が増加し、また、各家庭の女性も専業主婦中心から職業婦人・パート勤務者が増加して、大きく変わり続けてきたことでしょう。

 

 ところで、現在港北インターチェンジ付近では、「横浜環状線北線」と「横浜環状北西線」の建設工事が続いています。「北線」は平成28年度内完成、「北西線」は平成33年度内完成が目標となっているそうで、それぞれの線の開通後にはどんなに便利になるか、また、折本町を含む港北インターチェンジ周辺の町々がどのように発展・変化していくかとても楽しみですね!

 

 「わたしたちのまち」愛読者のみなさん、どうぞ次回もお楽しみに!


横浜環状線計画
横浜環状線計画
将来の港北インターチェンジ(目がまわらないようにご注意を!)
将来の港北インターチェンジ(目がまわらないようにご注意を!)

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