横浜市立折本小学校創立35周年記念誌「わたしたちのまち」

第9話 バスが通り始めた頃の話

熊男「おじさん、こんにちは。宿題で、バスが走り始めた頃のことを調べることになったの。その頃のことを知っていたら教えてください。」

 

おじ「熊男は野球が好きだが、横浜スタジアムへはどうやって行っている?」

 

熊男「僕は、新開橋からバスで新横浜へ行って、それから横浜線で東神奈川、そこで乗り換え、確か関内駅で降りたと思うよ。1時間もかからなかったな…。」

昭和26年頃のバス(35周年記念誌より)
昭和26年頃のバス(35周年記念誌より)

おじ「よく覚えているね。今はバスが通っているから、あまり歩かないで楽に行けるが、バスが通っていなかった頃、この辺の人は、どうやって横浜の方へ行ったと思う?そう、よくわからなくて当たり前。私もよくわからないので、生まれた時からずうっと折本に住んでいるおじいさんに、そのことを聞いたことがある。そのことを話してあげよう。

 

 その頃、折本から一番近い鉄道の駅は小机の駅で、カモ場のあたりを通り、鶴見川のせきにドンドン橋といって、丸太の杭の上に板を乗せた簡単な橋がかかっていた。そこを渡って40分ぐらいてくてく歩いて行き、そこから横浜線に乗って行ったそうだよ。また、ここから一番近いバス停が川向町にあった。今のバスの折り返し場のあたりかな。そこまで歩いて、やっとバスに乗って行ったそうだよ。 


 ところで、そのころ折本小学校のあたりは、家の数もずっと少なく大部分の家が農家で、朝早く星の見える頃起きてきて田や畑に行き、夕方星の見える頃まで働き、鍬やとれた野菜などリヤカーに山のように積んで、疲れた足を引きずるように引っ張って帰って来たとか聞いた。市場へ野菜を出すにも牛車に積んで市場などへ、牛と一緒に歩いて運んだとか聞いている。熊男に想像出来るかな。


 また、高校生も小机の駅まで毎日のように歩いて通い、誰もがどこへ行くにも歩くのが当たり前だったそうだよ。」

 

熊男「それで、いつ頃この辺にバスが通るようになったの?」


おじ「土地の人に聞いたがわからなかった。そこで市役所の交通局の人に調べてもらったことを話してあげよう。1953(昭和28)年8月1日に通ったそうだよ。鶴見駅から綱島、学区を通って川向町まで、今の41系統かな、11.92㎞、三区間に分かれていて、料金は一区間15円、三区間通して乗ると35円、1日に5往復、3時間に一本ぐらいのわりかな。だから乗りたい時に乗れないし、汗水流して働いて稼いだお金をバス代に使うのはもったいないと思うのか、みんな駅まで歩き、乗る人は少なかったそうだよ。」


熊男「バスが通るようになって、みんなが喜んだと思ったら、そうでもないんだね。」

 

おじ「どうもそうらしい。だが1965(昭和40)年に第三京浜の自動車道が開通し交通の便が良くなってから、インターチェンジの近くにたくさんの工場が出来、そこへ通勤する人が増え、また、この近くから横浜や東京方面に働きに行く人たちの家や、アパートがたくさん立つようになってからは、学区を通る市バスも増え、一昨年は新横浜―江田線(300系統)が開通し、今では6系統、158往復になったとか、大変便利になったようだね。

 

 話が変わるが、横浜にバスが通り始めたのは、1928(昭和3)年(今から57年前)の11月、その頃からずうっと若い女の車掌さんが、どの路線バスにも乗っていて『発車オーライ、次は○○です。』なんて言ったり、車の中で切符を売ったり、ハサミを入れたりして、今よりずっとサービスが良かったよ。これでおじさんの話は終わりだ。


 何かまだ聞きたいことがありそうだね。だが、ここが終点です。あとは、受け持ちの先生に聞いてちょうだい。毎度ご乗車ありがとうございました。」

学区を通る市営バス路線(35周年記念誌より)
学区を通る市営バス路線(35周年記念誌より)

「横浜市立折本小学校創立35周年記念誌 わたしたちのまち」より

~「第9話 バスが通り始めた頃の話」を読んで~

折本町を走るバスの路線図(2015.6現在)

 長く折本町に住んでおられたご年配の方は、この話を読んで昭和28年にバスが開通した頃の懐かしい風景や生活状況を思い出されたことでしょう。

 

 話の中に「鶴見川のせきのドンドン橋」がでてきますが、やや新しい世代に属する我々HP管理グループのメンバーは、このドンドン橋がどこにあったかを特定することができませんでした。

 

 ドンドン橋とその周辺の現在の状況を確認しておきたいので、もし当時の状況をご存じの方がおられましたら、是非正確な場所を教えてください。

 

 さて、「わたしたちのまち」の第8話は鉄道、第9話はバス、第10話は高速道と、いずれも地域の発展に密接な関わりがある交通の発展について記載しています。

 「わたしたちのまち」は30年前の資料ですが、交通事情の変化は、「わたしたちのまち」発刊後の30年間にも目覚ましいものがありました。

 

 特に、『自家用車の普及』はその筆頭で、昭和40~50年代には生活に欠かせなかったバスを、現在は補助的な交通手段に変えたと言えるのではないでしょうか。このような車社会への変化は全国各地であったわけですが、折本町は第三京浜道路の港北インターに近いこともあって、きっとこの変化がより顕著であったことでしょう。

横浜市営地下鉄ブルーライン(www.asahi-net.or.jpより)
横浜市営地下鉄ブルーライン(www.asahi-net.or.jpより)

 

 

 また、港北ニュータウンの造成と連携した『横浜市営地下鉄の開設』も、我々にとって特記すべき事項ですね。地下鉄は、横浜の中心地や東京の渋谷・品川へのアクセスを容易にし、それまではどちらかと言えば《のどかな田舎のイメージが強かった折本》を、《都会に隣接する豊かな田園地区》に変えた功労者の筆頭に挙げられるかもしれません。

 

 ところで地下鉄と言えば、この7月18日より快速運転が開始されるようです。 

 折本町民がよく利用する「仲町台」「新羽」「新横浜」の各駅は、いずれも快速電車の停車駅なっており、横浜の中心部へのアクセスが便利になりますね。期待しましょう。

横浜市営地下鉄ブル―ラインの快速運転(H27.7.18~)
横浜市営地下鉄ブル―ラインの快速運転(H27.7.18~)
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