横浜市立折本小学校創立35周年記念誌「わたしたちのまち」

第5話 道のわきに建てられたお地蔵様

 町の辻や道端に静かに立たれているお地蔵様。誰でもどこかで出会ったことはあるでしょう。どのお地蔵様も頭をまるめて優しい顔で、まるで子供のように見えます。お地蔵様は、人に良く慕われ、昔から「かさ地蔵」のお話のように語り継がれてきました。

 

 折本や大熊の地域でも数多くのお地蔵様に出会えます。早苗地蔵の他にも、杉山神社から大熊川へ向かう道筋にひとつ。堂ヶ坂(どがさか)を下りきった交差点の道角にもひとつ。

 しかしながら、どのお地蔵様も同じ姿ではありません。地蔵菩薩のように多くは人の姿を借りた形のものですが、舟形の石に乗せられた地蔵菩薩や、表面に文字が刻まれた大きな石だけの庚申塔(こうしんとう)や馬頭観音(ばとうかんのん)のようなものもあります。

 

 これらのお地蔵様は、お地蔵様の近くに住む人々によって、さまざまな願いを込めて建てられたものです。

 折本町や大熊町の地蔵菩薩は、町の人々が健康で安全にいつまでも幸せであるようにと祭られました。

 

 彌生橋(やよいばし)やゴルフ場近くの庚申塔は、災いが起こらないようにという祈りを込めて建てられたものです。

 また、ゴルフ場近くの馬頭観音は、人々の生活を手助けしてくれた家畜に感謝し建てられたものです。

 

大熊町下村橋近くの庚申塔 (35周年記念誌より)
大熊町下村橋近くの庚申塔 (35周年記念誌より)

ゴルフ場近くの馬頭観音 (35周年記念誌より)
ゴルフ場近くの馬頭観音 (35周年記念誌より)

 杉山神社の近くに祭られたお地蔵様は、大熊町の人々から「子育て地蔵」として慕われ続けてきました。そんな様子をお地蔵様の近くに住む角田秀吉さんが語ってくださいました。

 

「私の子供が、ある晩、急に腹痛を起こしました。ひとまず医者に診てもらいましたが、なかなか治まりません。そこで、古くから言い伝えれたお地蔵様に早く治してくださいとお願いしました。帰りに、お地蔵様の足元の石を拾って家に持ち帰りました。私は一晩中、その石で子供のお腹をさすってあげました。すると、おかげさまで明け方になると子供の腹痛もぴたりと治まりました。私達は、さっそくお地蔵様にお礼参りに出かけることにしました。ありがたい石を戻し、赤い布で縫った首かけをかけてあげたのです。子供がだんだん大きくなっても、お地蔵様の御恩は忘れません。今でも時折、赤い袈裟をかけてあげることもあります。昔、医者がいなかった頃の人達は、私達よりも、もっと深い祈りをささげたのだと思います。」

 

 最近、立て替えられたお堂の中の「子育て地蔵」には、真新しい赤い首かけや袈裟が何本もかけられています。そして、お堂の周りは、いつも綺麗に掃き清められていて、色鮮やかな花で飾られています。時には、お地蔵様の頭のてっぺんに、お賽銭が乗せられていることもあるようです。

 角田さんの話のように、大熊町の人々は、今までお地蔵様を大切にお祀りしてきました。大熊町だけでなく、そのほかの地域のお地蔵様も、草鞋やお饅頭のお供えなどを受けながら大切に祀られています。

 

 緑の苔にくるまれた小さなお地蔵様も、多くの人々の健康を守り、苦しみや災難から人々を救ってくれる、ありがたいお地蔵様であったようです。昔から、お地蔵様は地域の人々の暮らしと深く結びついてきましたが、これからもずっと、お地蔵様は皆さんの幸せを願い、優しい顔のままで見守ってくださるに違いありません。


大熊町の子育て地蔵 (35周年記念誌より)
大熊町の子育て地蔵 (35周年記念誌より)

「横浜市立折本小学校創立35周年記念誌 わたしたちのまち」より

~「第5話 道のわきに建てられたお地蔵様」を読んで~

 

 この話は今から30年前に編集されたものです。HP管理グループは、話の中にでてくる「お地蔵様たち」や「庚申塔」や「馬頭観音」がどうなっているか調べましたが、幸いにも殆ど撤去されることもなく元の場所にあるようでした。


 調べてみたところ、折本の馬頭観音は個人所有の碑で、私費で建立されたものでした。
  
 折本村では昔、馬を農作業用としてを所有していたのは少人数でほとんどの農家は牛を農耕用として飼っていました。
 明治に角田倉之丞さんが、大正に角田文次郎さんが私費で感謝の念として碑を建てました。そこに馬のしっぽを埋めて祀ったと言われているようですが、文次郎さんの子孫の方に確認をとったところ、実際は何も埋めてはいないとのことでした。また、「牛を祀った碑はどこかにあるのでしょうか?」と、伺いましたがそれは無いようです。


 当初建立された場所は、現在のある位置(地図参照)よりもずっと南寄りにありましたが、ホームページ第1話でも載せました第三京浜道路開通の工事に伴って、地権者さんのご協力も受けて現在の位置に移したようです。
  
 近所の方のお話ですと、時おり、誰かが置いた人参を見かけることがあるそうです。

馬頭観音 (折本町)


子育て地蔵尊 (折本町)

 第5話では、大熊町の子育て地蔵が紹介されていますが、折本町内の堂ヶ坂を下りきった交差点近くにあるお地蔵様も「子育て地蔵(正式名は子育地蔵尊)」と呼ばれています。

 この子育地蔵尊は、第3話で紹介した「早苗地蔵」と一緒に、毎年3月と9月に地元の地蔵講の人達と真照寺の住職さんによってお詣りの行事がなされているとのことです。

 

 また、このお地蔵様に隣接している《バーバーワタナベ》のお母さんが、お地蔵様と周辺を毎日きれいに掃除されているそうです。

 渡辺さん、いつも気持ちよくお地蔵様の前を通ることができます。大変有難うございます!


 

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 さて、「庚申塔」や「馬頭観音」は今日ではあまり馴染みがなくなっているので、それらの由来について調べてみました。

 

 庚申塔(こうしんとう)は、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔です。庚申信仰とは、「十干十二支」の考え方に基づき、庚申(かのえさる)の日は不吉な事が起きるとされ、前日から集団で徹夜して祈祷していた民間の風習です。

 

 「十干十二支」ですが、年や日を [甲(こう・きのえ)、乙(おつ・きのと)、丙(へい・ひのえ)、丁(てい・ひのと)、戊(ぼ・つちのえ)、己(き・つちのと)、庚(こう・かのえ)、辛(しん・かのと)、壬(じん・みずのえ)、癸(き・みずのと)] と、十二支 [子(ね・し)、丑(うし・ちゅう)、寅(とら・いん)、卯(う・ぼう)、辰(たつ・しん)、巳(み・し)、午(うま・ご)、未(ひつじ・び)、申(さる・しん)、酉(とり・ゆう)、戌(いぬ・じゅつ)、亥(い・がい)] の組み合わせで表わすもので、10と12の最小公倍数である60年または60日毎に物事が繰り返されると考えられていました。

 

 明治時代になると、政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心にその撤去を進め、さらに、高度経済成長期以降に行われた街道の拡張整備工事によって各地に残存していた庚申塔のほとんどが撤去や移転されることになったようです。

 

 次に、馬頭観音(ばとうかんのん)ですが、元々は観世音菩薩の化身で、人身で頭が馬のものと馬の頭飾り付きのものがあり、いずれも諸悪魔を追払い煩悩を断つ功徳があるとされていました。

 しかし一般には、馬の無病息災としての守り神として信仰されていたようで、我が折本町の馬頭観音は石碑のみ(元は観音様があったのかは不明)ですが、きっとこちらの系統なのでしょうね。

 

 昔の話はなかなか難しくて、よく理解できないこともありますが、少しは賢くなったような気がしませんか、みなさん!

庚申塔 (折本町)

子育て地蔵尊 (大熊町)

庚申塔 (大熊町)


 最後に折本小学校50周年記念誌「わたしたちの折本」に載っていた地図に、少し追加をしたものを掲載いたします。この地図を元に地元散策を楽しんでみてはいかがでしょうか?

折本町近辺の観音様とお地蔵様
折本町近辺の観音様とお地蔵様
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